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『ライフ・イズ・ビューティフル』を訳せば、「人生は美しい」。

もうちょっと日本語的にすれば、「美しきかな人生」とでもなるでしょうか。

まあそんな題名なので、当然ハッピーな映画かと思って見てみたのですが、意外や意外、境遇がとても悲惨な映画でした。


主人公は、イタリアにやってきた陽気なユダヤ人。

恋をして、持ち前のユーモアと機知でイタリア人の彼女の心を虜にし、息子が生まれる。

ここまでは明るく面白く、見ていてただただ楽しい感じでした。

ところがこの後から怪しくなってくる。

時代は、大戦の終わり頃。

ユダヤ人は、ドイツ軍によって収容所に送られてしまうのです。

主人公も息子も、主人公の叔父も、収容所行きの汽車に詰め込まれる。

それを知ったイタリア人の妻は、自分もその汽車に乗り込むという行動に出る。

収容所に着くと、男と女は別にされ、年取った叔父はすぐにシャワー室に送られる。

(シャワー室とは名ばかりの、ガス室なんですけどね。)

息子と一緒の主人公は、息子に決して真実を教えず、楽しいゲームを毎日やって千点取れれば本物の戦車がもらえると明るくふるまう。

息子がどんなに悲惨な事を聞いてきても、一切認めず、最後の最後まで息子のためにユーモアで乗り切る。

主人公は、どんなに悲惨な境遇にいても妻や息子に対する愛情を失う事はなく、それがこの映画を貫くテーマになっていましたね。

そのせいか、今まで映画で見たり本で読んだどんなユダヤ人収容所より、規律がゆるく、明るい収容所になっていました。

収容所に着いた時点で、大人と子供が別々にされない所って、本当にあったのでしょうか?

この映画のための特別演出なのかな。

でもそのおかげで、絶望的な状況下でも、希望を失わずに生きる家族を見る事が出来ました。

久々にいい映画を見たって感じです。


それにしても、ちょっとだけ疑問が。

『アンネの日記』の映画の中でもそうだったんですが、アンネの叔父さんが、アンネの隠れ家にやってきた事があったんです。

その頃はユダヤ人が外を出歩く事も出来なくなっていて、みんな口々に「どうやって来たの?」と叔父さんに尋ねます。

すると叔父さんは、

「なに、大したことはないさ。服に付けていたユダヤの星を外して、堂々と道を歩いてやって来たのさ。」

と答えるのです。

(えっ、ユダヤ人って、ヨーロッパの人でも見分ける事が出来ないの?!それじゃあ、自分でユダヤ人だって言わなければいいじゃん。)

って、思いません?

この映画の中でも、イタリア人の妻がユダヤ人じゃないと言われる場面もなかったし、正直ユダヤ人を見分ける事は、私にはできませんでした。

そういえば双子の男性が、一人はドイツ人として生き、一人はユダヤ人として生きた話も聞いた事があります。

全く同じ外見なのに。

そこら辺が、よく分からないなぁ。

迫害が始まったら、「ユダヤ人じゃありません。」って言えばいいんじゃないのでしょうか。

そんな単純にはいかないのかな。

長年抱いている疑問です。
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Author:月野
現在、病気療養中の四十代の女性。
最近少し忙しいので、あまり記事も書けないし、コメントの返事も遅くなるかもしれません。
ですが、過去の記事にコメントいただけるのは嬉しいので、歓迎しています。

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