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さて、本の各部分の名称の問題です。

本の「扉」というのは、どこの部分でしょうか?

本を開く前に見える、一番おもての部分を思い出した方は、不正解です。

一番おもての部分には「おもて表紙」という名前が付いています。

(それでいくと裏側は「裏表紙」ですよね。)

その「おもて表紙」をめくると、「見返し」というほとんど何も書いてない所があります。

さらにその「見返し」をめくると、題名や著者が書いてあるページがありますね。

実はそこが「扉」という部分なんです。

ちょっとややこしいですよね。


では、二問目。

本の「小口(こぐち)」というのは、どこの部分でしょうか?

「小口」なんて聞いた事もないよという方もいらっしゃるかと思いますが、本には「背表紙」がありますよね。

その「背表紙」の反対側にある、ペラペラと開く紙を切りそろえてある部分を「小口」というんです。

あまり知られてませんね。


その他の名称は、大体みんなが知ってるかな?

本に掛けられている紙は「カバー」というし、その上にさらに掛けられている幅の狭い紹介文などを書いた紙は「帯」。

本の一番後ろの方にある、題名や発行年月日などが書いてある所は「奥付け」。


たかだか一冊の本でも、こんなに各部分に名前があるだなんて、ちょっと面白いですね。
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昔、国立国会図書館に勤めていたある人から聞いた話を書こう。

国立国会図書館は、日本で刊行される全ての本を納めることが、法律によって義務付けられている。

だが時々「これは本なんだろうか?」と考えさせられる本が送られてくる事もある。

彼が若い頃、やはり本かどうか判断に迷うような本があり、彼は「これは本ではない。」と主張した。

しかし彼の上司に当たる年配の人が、「いや、これは本だ。蔵書に加えよう。」と押し切り、結局蔵書になってしまったそうである。


長い年月が経ち、彼が今度は年配の上司になった。

そしてそこに『自分史』という本が送られてきた。(たぶん題名はこれだったと思う。)

立派なハードカバーの本で、出版社もしっかりした所。

が、中を見てみると、そこには一文字も字が書かれていない。

白い紙が延々と綴られているだけ。

つまりこれは、その本を買った人が自分の事をその中に書き込み、自分だけの自分史を作ってくれという趣旨の本だったのだ。

その本の意外な趣向が当たって、世の中にではそれなりに売れたという。

だがこれは本なのか、ノートなのか?

彼は世間で売れた実績を買って「これは本だ。」と判断した。

でも若い職員たちは「いくらなんでも、これは本とは言えない。」と判断が分かれた。

結局彼は、自分の職権を振るって、自分の判断でその本を蔵書にしてしまった。


またかなりの年月が経ち、彼は国立国会図書館を退職した。

そしてその時の事を今になって思い起こしてみると、やはりあの『自分史』は本ではなかったと考えるそうである。

そうして自分が若い頃に上司がやったのと同じ事を、自分もやってしまったと苦く思い出すそうだ。


人間だから間違いもするのは当然だというのは、聞きなれた言葉だ。

だがその人間が間違いに気付いた後も、多分その本は国立国会図書館のどこかの層に眠っている。

きっと誰にも見られる事もなく、忘れられたまま・・・。
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今の図書館は、本の管理はどこもバーコードになってしまっている。

公立図書館でも、学校の図書館でも。

でもまだバーコードなんてなかった頃、本を借りるといちいち図書カードというものを書いていた。

今でも、小学校の図書館ではそうだろう。

自分が借りた本の題名を、自分の図書カードに書く。


でももっと昔は、自分の図書カードに書くだけではなかった。

本の後ろにカードを入れる所があって、そこに読んだ人が自分の名前を書いていくのだ。

確か読者カードといった。

自分の図書カードには、自分の読んだ本の題名が記される。

そして本に付いている読者カードには、読んだ人の名前が記されていく。


今は個人情報の保護とか言って、誰がその本を読んだか分かるようなそんなカードは考えられもしないだろう。

私の高校時代も、すでにその本の後ろの読者カードの制度は、なくなっていた。

だが古ーい古ーい本を手に取る機会があると、そこにはまだ読んだ人の氏名が記されたカードが入っていた。

黄色く変色したようなカードに、何人もの生徒の名前が記されている。

ずっとずっと昔の先輩の名前が、それぞれの字で、何人も何人も・・・。

それを見つけると、どこか心の一部がポッとあったかくなるようだった。

顔も知らない何人もの人が、私と同じ本を読んでいる。

同じ所に、感動したかもしれない。

同じ文章に、感化されたかもしれない。

そんな連帯感のようなものが、そのカードを見ると感じる事が出来た。

そのカードに名前を書く必要はもうなかったのだが、私は密かな喜びを持って、古い変色したそのカードの一番末尾に自分の名前を書いた。

そして、その本の連帯者に仲間入りしたような嬉しさを感じていた。


今はコンピュータで管理され、その本を読んだ人はだれか、誰がどんな本を読んでいるか、調べるのはもっと容易だろう。

だが容易が故に、その情報を外に出す事はなくなってしまった。

図書館の本はただ、読まれる本としてそこにある。

今までどんな人が読んだか、どの位の人が読んだかも分からないまま・・・。


読者カードが存在していたおおらかな時代・・・そんな頃にふと憧れを感じる事もある。
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プロフィール

月野

Author:月野
現在、病気療養中の四十代の女性。
最近少し忙しいので、あまり記事も書けないし、コメントの返事も遅くなるかもしれません。
ですが、過去の記事にコメントいただけるのは嬉しいので、歓迎しています。

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