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久しぶりに庄司薫の文庫本を持ち出して眺めていたら、この本の表紙絵は、彼の奥さんの中村紘子が描いている事に気が付いた。

何羽もの白鳥が、青を基調とした水彩で、さらさらと描かれているような印象の絵。

さすがピアニスト。

やはり芸術方面での感覚が優れているのだろうか・・・イラストレーターでもないのに、とても美しい。

それに比べると庄司さんの方は・・・『ぼくの大好きな青髭』の表紙絵を書いているのだが、これは、うーん・・・。

私でも描けそうというか、誰でも描けそうというか、青と黒の絵の具をじゃんじゃん着けてみましたって感じで、絵心がある人ではなさそうな絵ですね。

この絵以外の物は見た事はないので、彼は絵が上手いのか下手なのかは分かりませんが、この二冊で比べてみたら、少なくとも奥さんの勝ち。


そういえば昔の中国で"文人"と言われた人達は、書が上手いだけでもダメ、絵が上手いだけでもダメ、両方上手くないと"文人"と呼ばれなかったという話を聞いた事がある。

厳しいですよねぇ。

今の日本にそれを適用したら、日本の作家が半減するんじゃないかな(笑)。

でも確かに、文と絵は、かなり近い存在だ。

本の中には必ずと言っていいほど絵が存在するし、絵だって文学をモチーフにして描かれた物が多々ある。

かなり個人的な情報だが、私のリンク先のかねかねさんとOceangreenさんだって、昔からの文学友達なのだが、二人とも絵が上手い。

私も彼女たちほどではないが、絵を描いたりするのは好きな方だ。

両方とも、紙にかいていくってのが、大きな共通項かな。

同じ芸術でも、音楽は音を鳴らさないといけないし、彫刻だったら形をつくっていかなければならない。

やっぱり相性がいいんだと思う。

文と絵は、紙と書く物があれば、両方できるという点で。


私もなぁ、家族の中では絵が上手い方に分類されるけど、その位のレベルだしなぁ。

もっともっと絵が上手くなりたかったなぁ。
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この作品の「白鳥の歌」とは、「白鳥は死ぬ間際に、とても美しい歌を歌う。」という言い伝えから来ている。

この説明部分を本の中で見つけようと二度ぐらいざっと目を通してみたが、結局見つけられなかった。

確かに、この本の中で読んだのだが・・・。

見つける事は出来なかったが、この作品は、一人の老人の死に立ち会う主人公の恋人と、主人公のお話だ。

そのためこの「白鳥の歌」とは、「死の歌」とも言い換えられると私は思う。

主人公の若い薫君(主人公名と作者名は同一)は、死のとても間近にいながら、「白鳥の歌なんか、聞えない!」と言い切るのだ。

何だかいいなぁ・・・と思う。

健康な若さ、だと思う。


「死の歌」としての「白鳥の歌」は、私にはずっと昔から聞こえていた。

思春期の頃と、病気になってから。

今でもテレビで虐待されていた子供の死亡のニュースが流れたり、近所の人がろくろく病まないで亡くなっていった話を耳にすると、「下手に生き残ったりしなくて良かったね。」と思う。

虐待されても生き延び、大人になってから心を病んでいる人たちの現状を見たり、病気になったものの、進歩した現代医療のおかげで、いい西洋薬や漢方を飲まされて生きながらえる苦しさを、嫌というほど知っているからだ。

薬が発達していなかったら、今の私は、ここにはいなかった。

現代だから、私は今も生きている。

もしもっと前の時代に生まれていたら、とうの昔に黄泉の国の人になっていただろう。

自分だけだったら、その方が楽だった。

でも私には、子供がいる。

彼等のためだとしたら、やはり私は生きていた方が良かったと思う。

いくら病気でも、私がいる事で、彼らに貢献する事は、とても大きい。

私は、母なんだし。


「白鳥の歌」は、私にとってとても甘美な調べだ。

だが、薫君のように「聞えない!!」と言い切るだけの強さが欲しい。
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本の中の断片的な話になるが、この作品の中に、以下のような文章があった。


「そして正直に言ってぼくは、山中さんにちょっとガックリしたものだ。

何故なら、ぼくがそれまで比較的よく知っていた兄貴の親しい友達連中ってのは、なんていうかすごくしたたかなやつっていうかタフな野郎どもって感じがあって、その上ぼくがすごいチビの時からずっと十歳も年上(まあ当り前だけれど)ってこともあるのだろう、まあちょっと大袈裟に言うと憧れの英雄どもっていうか先輩たちっていうか、なんとなくそんな頼りになるムードを感じていたわけだ。

たとえば、連中はどういうわけか口癖か合言葉みたいに、マイッタマイッタ、なんてよく言っているのだが、ぼくから見ると実はちっともマイってなんかいないで、むしろ楽しんでいるように見えるし、つまり変な言い方だが、彼らにはいかなる場合にもぼくなんかが同情する余地なんて全くないような安心して見てられる感じがあったのだ。」


ここの「マイッタ、マイッタ。」という部分が、その昔、私の家族にも当てはまる事柄で、ひどくおかしかった。

この口癖は、私の父や、年の離れた兄も言っていたように思う。

でも決して心底参っているのではなく、笑顔で、ただの愛嬌や返事、一区切りのような意味合いで言っているような感じだった。

つまり文章の中の「。」に当たるのが、この「マイッタ。」という言葉で、それを生活の中で使っていたとでもいうような言葉だった。

うちの男性家族は「マイッタ。」と言っても、決して参ったりなんかしない・・・そんな安心感が昔はあった。


だか時が経ち、父は未だにその言葉を繰り返し使うが、今は何だか違う。

言い方にしても、昔の軽やかなカタカナの「マイッタ。」ではなく、今は重い漢字の「参った。」である。

年齢や病気に、本当に参ってしまっている言い方。


昔の、あの笑顔の「マイッタ。」が、今は懐かしい・・・。
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この作品は、第六十一回の芥川賞を受賞して、ベストセラーになっている。

多分私よりもうちょっと上の年齢の人が、高校生の時、みんな読んだ類の小説なんだと思う。

というのも、私がこの本を見かけたのは、図書館でもなく、本屋でもなく、もちろん自宅でもなく・・・部室だったからだ。


私は高校の時、文芸に関する部活に入っていて、その部室にこの本が置いてあった。

面白そうな題名だったので読んでみたら、ものすごくはまった。

面白くて、大好きになった。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読み終えた私は、

『さよなら怪傑黒頭巾』

『白鳥の歌なんか聞こえない』

『ぼくの大好きな青髭』

と、このシリーズを読み続けた。

こうやって題名を書き連ねるだけでも、何だかこれらの小説を読んでいた当時の幸せな気分を思い出すようだ。

今では内容もほとんど覚えていないのに、その時から庄司薫は私の大好きな作家の一人となり、未だにその地位は変わらない。


『ぼくの大好きな青髭』の後、彼は小説を書いていないのだが、たまに・・・ほんのたまーに、新聞で"作家・庄司薫"という名を見かける事がある。

でもそれは彼の事を書いてある記事ではなくて、妻であるピアニストの中村紘子の記事の中にだ。

「夫の作家・庄司薫さんは・・・云々。」という書き方なのだが、それでも彼の名前を見つけると、ちょっぴり嬉しくなる。

いつまでたっても庄司薫は、私の中の特別なんだ。
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プロフィール

Author:月野
現在、病気療養中の四十代の女性。
最近少し忙しいので、あまり記事も書けないし、コメントの返事も遅くなるかもしれません。
ですが、過去の記事にコメントいただけるのは嬉しいので、歓迎しています。

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