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三十八歳・・・これは、宮澤賢治の没した歳である。

若くして亡くなった方だったんですね・・・。

年譜を眺めていたら、三十三歳から身体の衰弱が始まっている。

そして三十六歳にして、有名な『雨ニモマケズ』を手帳の中に書いている・・・。

そんな背景を知って『雨ニモマケズ』を読み返してみると、何だか違う側面が見えてくる。

「雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ」

という始めの部分が、賢治がものすごい憧れをもって書いているんじゃないかという気がしてくる。

私自身、ひどい体調だった時には、夏の暑さや冬の寒さがものすごく身に応えた。

盛夏の頃や、厳冬の時に亡くなっていくお年寄りの気持ちが、痛いほど分かった。

気温や天候・・・そんなものが変わるだけでも自分の体調がひどくなり、今にして思えば、本当の重病人だった。

賢治も、そうだったんじゃないだろうか。

だからこそ『雨ニモマケズ』を手帳の中にしたため、自分にはないものを全て書いて、強く憧れた。

実際、最後に「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」で締めくくられているし・・・。

反対からいえば、賢治は『雨ニモマケズ』に書かれている立派な人とは、全く逆の人物だったという事になりますよね。

少なくとも、病床にあった頃は。


そんな事を書いていたら、ちょっと似たような事例を思い出した。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る。」

という言葉があるが、実はこの言葉の原典は、ローマの詩人ユウェナリスの

「健全な精神が、健全な肉体に宿ればいいのに。」

というものだったという。

つまり、健全な精神と健全な肉体を、一緒に持ち合わせている人がいかに少ないかを憂いている言葉だったと。

それが、イギリスの哲学者ロックによって間違った引用をされてしまったらしい。

全く反対の意味になってしまった。


『雨ニモマケズ』の中に書かれている人も、そういう見方をしてみると、実社会にはいるはずもない人という事になりますね・・・。
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この話は、私がまだ小学校高学年かそのくらいの頃、父親に勧められて読んだ。

注文の多い・・・というと、料理店のメニューが多と思うでしょうね、普通。

ところがどっこい、そうじゃないんですよねー。

話がとても短いので、これ以上書くと内容まで全てばらしてしまうので書かないが、このお話は『よだかの星』などに比べると、ものすごく軽快、愉快。

私はこういう明るくて、面白い話の方が好きだ。


・・・そういえば昔これを読んだ時、若い太った主人公の男性二人の顔が、最後にくしゃくしゃになったまま、元に戻らなくなってしまったのが不思議でならなかった。

山猫軒で塗らされたクリームに、何か秘密があったんだろうかと深読みしてみたりもしたが、どうも納得がいかないままだった。

今になってこの作品を読み返してみると、これは落語で言う"オチ"にあたる部分で、それほど深い意味はないんじゃないかと思う。

最後に、ちょっと面白い部分を付けくわえた程度の感じなんじゃないかな。
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『よだかの星』の作品を読むと、よだかはカシオペア座のすぐ隣りの、天の川を後ろにした所で星になったと書いてある。

ここまではっきりとした場所の記述があると、宮澤賢治は、何かはっきりとした星をよだかの星と想定しているように思える。

そこでちょっと調べてみた。

いやー、パソコンは便利。

そんな情報も、比較的簡単に見つける事ができた。

ウィキペディアによると、よだかの星がどの星か特定されてはいないが、今からおよそ四百四十年前にカシオペア座の横で突然爆発して、シリウスよりも青く輝きだし、数年で見えなくなったが、今でも熱を帯びて電波を放ち続けるティコの星を連想させるそうだ。

天文に詳しい賢治は、この有名な超新星を念頭に置いていたようである。

ティコの星(SN1572)は、1572年にティコ・ブラーエによって初めて観測された星だそうだ。

だが、今はもう見えない星となると、小説の最後の部分の

「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えてゐます。」

という部分と重ならない。

読者としては、よだかにはいつまでも星として輝いていてほしいから、やっぱりよだかの星は空想上の星としておいた方がいいようですね。
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プラネタリウムで『銀河鉄道の夜』の番組を見たとき、サソリの赤々と燃える灯が印象的だったが、そこで語られたサソリの話が、『よだかの星』の話とよく似ていると思った。

サソリは、小さなたくさんの虫を食べて生きてきたのだが、自分がいたちに食べられそうになった時、必死に逃げて井戸の中に落ちてしまう。

そうして井戸の中でおぼれている時、神様に

「素直にいたちに自分の体を与えず、こんな空しい命の捨て方をしてしまった。
 どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私の体をお使いください。」

と祈った。

そうしたらサソリは、夜の闇を照らす真っ赤な美しい灯になったというのだ。


よだかも、すごく似ている。

大きな鷹に殺されそうになったよだかは、空を飛びながら、自分もたくさんの羽虫を食べて殺している事に気付く。

絶望したよだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐ空へ昇っていく。

そうしてカシオペア座のすぐ隣りの、天の川を後ろにした所に、青く輝く星になったというのだ。


共通項は、他の生き物を殺さなければ、生きていけない生き物の哀しさと、そこから逃れた存在になった時、空に輝く美しい星になったという事だろうか。


この『よだかの星』は、教員をしている何人かの男性が、一番好きな小説だと言っていた。

こういう切ない感じが、教員には受けるのかな?

私にはちょっと切なすぎるなぁ・・・。
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プラネタリウムで、ずっと続けて上映している人気番組がある。

それが、『銀河鉄道の夜』。

多分いい作品なんだろうなぁと思いつつも、なかなか見る機会がなかったのだが、先日やっと見に行ってきた。

いつも番組を作っている会社とは違う会社で作られた物で、一言でいえば、すごく良かった。

宮澤賢治の小説をもとに、CGを多用して作られていたのだが、映像がとても美しい。

その美しい映像が、映画館みたいな平面のスクリーンとは違うドーム型の天井一面に映し出されていたので、全く初めての映像体験。

映像が動くのではなく、自分が動いているような錯覚を起させるようなシーンもいくつもあった。

見る人によっては、映像に酔いそうになる感じかな(笑)。

でも私はそれが心地よくて、ずっと自分が銀河鉄道に乗って動いているような感じでもいいと思った。

また、人物の映像が一つもなかったのも良かったと思う。

いくら上手く作ってあるCGでも、人の映像はどうしても作りものっぽくなるから、登場人物は声だけで、後は美しい風景だけというのが、とても幻想的だった。

ススキの穂が光っている地上。

そこから白鳥と共に川の上を飛んでいくと、その横に現れる銀河鉄道。

いつしか車内に入り、宇宙の旅が始まるのだが、SF的な宇宙ではなくて、地上の美しいものだけを集めたような野原のような宇宙。

天の川は、鉄道の横に常に流れている夜の川。

星々は、三角標の上に輝く青白い光。

なかでも特に美しかったのが、サソリの灯の映像。

野原の中にサソリの形が透けて見え、その上に燃え上がるサソリの赤い灯。

綺麗だったなぁ・・・。

小説の『銀河鉄道の夜』は読んだことがないのだが、これを見れば読みたくなるような作りになっている。

私ももっと元気だったら、そんなに長い小説でもないし、すぐ読んだだろうけど。

でも宮澤賢治の世界の中で、切ない部分を抜かして、美しさだけ味あわせてもらったような・・・。

とても気に入ったので、また子供を連れて見に行ってきたい。
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プロフィール

Author:月野
現在、病気療養中の四十代の女性。
最近少し忙しいので、あまり記事も書けないし、コメントの返事も遅くなるかもしれません。
ですが、過去の記事にコメントいただけるのは嬉しいので、歓迎しています。

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